1957年1月22日、山形で生まれました。母から聞いた話によると、山形県立の病院で生まれたそうです。非常に体格も良く、健康有良児と言われたそうです。
山形県東村山郡中山町長崎の自宅に戻って育てられました。このネタばかりの当時の写真が残っているので、ここに貼り付けます。もちろん、当時の記憶は何もありません。両親がずいぶん若かったなというのは、写真からわかるだけです。



父は開業医だったし、、看護婦さんがたくさんいて、母は、その世話をしていましたし、おばあちゃんもいました。ですから、母親は非常に多忙でした。
よって、私の面倒を見てくれたのは、おばあちゃんのおふじさんでした。

私の写真といえば、パイパイしている時の写真とか、父親に持ち上げられて高い高いしている時の写真とか、でした。


私の実家は本当に小さな開業医でした。玄関に看板が一つポツンと立って、あとは前にいたドクターがいたらしいんですけど、その前にいたドクターの場所をそのまま譲り受けるという形で開業したそうです。



自宅の敷地だけは広かったですね。そして裏庭もあったし、周囲には自然が一杯だったので、森の中、最上川の川の中、藪の中の小道、収穫が終わった畑や田圃、いろんなところに行って、自然の真ん中で、遊んだりしました。ヘルメットをかぶったりしてヒーローものの真似事をしたり、そんなことをしていました。



この時は父には車がありませんでした。ですからバイクのようなものに乗っては移動して、患者さんのところに往診に行っていたようです。そしたらそのうち父が車を買いました。この写真にあるように、本当に今で言えばミニカーです。でも当時は、この車を持っていることだけでも、バイクで通う必要がなくなったので、家族は大喜びだったそうです。


庭もありましたが、そこには鶏を育てる箱があったり畑があったり、雑草が生えていて、そんな中でただただ遊ぶだけの子供だったようです。雑居林がたくさんありましたから、遊ぶって言ったら鬼ごっこや森に隠れて遊ぶ、だるまさんが転んだといった遊びが主流だったようです。


山形県という国は、夏は暑くて冬はすごく寒く、雪がたくさん積もりました。ですから冬の遊びといえば、スキー板を使って自分でスキーをするのです。しかも、裏庭でスキーをするのです。


そんな遊びを一人でやってみました。裏庭は広かったので、スキー台のジャンプを作って、それで自分で滑っては転ぶ、そんな遊びをしていました。


車に乗ることは父も楽しかったようで、真冬の雪が積もっているときでも僕を連れて車に乗っけていろいろドライブをしてくれました。
