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終戦直後の山形は、まだ戦禍の余韻が残る中で人々が新たな暮らしを模索していた。

 

駅前には小さな毛糸屋があり、一人のおばあちゃんが店を切り盛りしていた。彼女は戦争で多くを失いながらも、何とか家族を守り抜こうとしていたのだ。

ある日、おばあちゃんは気づく。店にやってくるお客さんの中には、どうやら医者の奥さんが多いらしい。

 

終戦後の不安定な時代でも、医者の家庭は比較的安定していると考えた彼女は、娘に安心した暮らしをさせるため、医者の家との縁談を思い立つ。

しかし、その縁が導いたのは、駅前の華やかな医者の家ではなく、田舎の奥深くで静かに開業医をしている一人の男性だった。

 

不思議なことに、戦後の混乱期には田舎の開業医のほうが物資や食料に融通が利き、むしろ安定した生活を支えやすかったのだ。

こうして、山形駅前育ちの、毛糸屋さんのお嬢さんと田舎の開業医は結ばれ、やがて新たな家族が築かれていった。

 

そして昭和32年1月22日、その二つの世界をつなぐようにして「僕」が生まれる。

田舎と町、戦後の混乱と新たな日常、その間を生き抜いた家族の物語は、静かでありながらも温かい絆を育んでいったのだった

毛糸屋さんといえば、いわゆるアパレル業界にあたります。私の祖母はパリに行きたいとずっと願っていて、ついにパリに行ってきました。その後、親戚、家族を集めて8mmの映写会などをするおしゃれな女性でした。

祖母のその後というのは、左足の悪性黒色腫になり、左足が真っ暗になり、その癌が全身に転移して亡くなりました。その時、祖母を見舞いに行った時の、左足の真っ黒な黒さが今でも忘れられません。

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