1990年頃から、僕はソニーの産業医のような立場でソニーにアルバイトとして通っていた。そこで論文を書いたり、ちょっと他言できない、いろんな仕事をしていた。そしたらある時、ソネットの初代社長である堀米さんが来て、「鈴木先生、暇そうにしてるね。Sonetという新しい会社を作るから、ちょっとエッセイでも書いてコンテンツ制作でも手伝ってくれないか」と堀込さんから直接依頼を受けた。
ちょうど僕は沢山の学術論文を書いていた時期だったけど、その切れ目にあたっていた頃から、「お給料もらえるし、エッセイを書くんだったら自分の得意なところだし」と、引き受けましょうということで、ソネットに移った。

実は当時、ソニーの中には森田社長の時代から「ソニーは絶対に医療分野には進出しない」「ソニーは絶対に血を見るような仕事には参入しない」というような社内方針があった。私はそれに対して、すごいもったいないと思っていたが、何もやる術がなかった。何とかしようと思ったが、別にソネットから話が来るまで、具体的な仕事をするつもりはまるでなかった。
でも堀込さんに誘われてソネットに来たとき、インターネットという仕事があることを知った。そこにHTMLという言語があって、そのHTMLを通じて世界中に文章を届けられることを知った。そこでHTMLの最初からその言語を覚えて、タイピングして、文章を作って、FTPという作業をして、そしてネットに上げた。
医療エッセイから始めた。確かそれはソネットが開業したばかりの頃だったので、1996年の頃だったと思う。
今はソニーやソニー関連企業も医療DX分野を拡大しているが、本当にソニーがITで医療分野に進出したのは、僕がソネットでHTMLを書き始めたその時が一番最初だったはずである。
その後のことは、いろんなことが変わり世の中も変わった。その詳細については、以下のKindle書籍に詳しく書いてあるので、ぜひ読んでほしいと思う。








ソネ ットに在籍中も書籍出版の仕事は継続していた。1997年頃に出版した「三連カード式 糖尿病の献立」(主婦の友社)が爆発的な大ヒットになり、書店には僕の本が、類書も含め何冊も出版され、たくさん平積みになるようになっていた。以前、書籍の世界では僕の名前はまだ有名人であり、ヒットメーカーであり、どこの本屋さんに行っても必ず僕の本が書店には並んでいた。何をやらせても失敗しない。周囲の人達は僕のことをそう思っていたみたいであった。そして、その頃でも海外の有名な医学雑誌へ論文は掲載されていました。







