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母方の祖先
三日町の鈴木家は、広重画、つまり、広重の描いた絵にも登場しているくらいで、少なくとも江戸時代以前から存在していたということがわかります。
広重の「湯殿山道中略図」というのは、江戸時代の浮世絵師である歌川広重が描いた風景版画の一つです。この絵は出羽三山の一つである湯殿山への道中を描いたものとされていて、巡礼や旅の風景が簡略化された形で示されているんです。つまり、湯殿山へ向かう道すがらの様子や土地の雰囲気を伝える絵ということになります。
鈴木伝六は鈴木製麩所(上町)の6番目の子供として生まれ、鈴木製麺から嫁をもらいました。鈴木伝六は、私の、曾おじいちゃんになります。
その末っ子として、鈴木貞沢が埋まれ、お蝶さんと結婚しました。
その子供の中には、鈴木の長男がいて、長女として鈴木島子が生まれました。その妹には、恵子おばさん、国子おばさん、順次おじさん、がいます。
お蝶さんの実家は布団屋さんでした。お蝶さんになってからは、毛糸屋さんになりました。
鈴木貞次祖父は、運送関係の仕事をしていて、そのために山形駅の駅前に自宅をもっていたとのことです。
お蝶さんは、第二次世界大戦の終戦後に、毛糸屋さんに買いにくる客に医者が多いことを知って、島子を医者に嫁がせることにしました。
そうして、鈴木島子は、鈴木吉蔵と結婚し、私の母となりました。
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